なんとなくアジア(旅の日記から)
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移動編/パキスタン・シャンドゥールパス(Shandor pass) -2
 
■シャンドゥールパス(Shandor pass) を越えて
シャンドゥールパス西端からの展望
 

夜になって急激に温度が下がる。幌仕立てのジープはすき間風で寒い。外も見えなくなって、ついウトウト。 はっと気がつくと時間は時間はもう10時半を回っていた。「ここどこ?」「わからない」「え…」。時間的にいって宿泊予定のテルー (Teru) は過ぎているのではないか?もしかしたらその次の村のバルサット (Barsat) も。しばらくして、ようやく明かりの灯いた家を発見。 (明かりが灯いてなかったら、そこに家があること自体気付かないほどあたりは暗い)運転手はここはどこなのかを尋ねにゆく。 ここがどこなのか、私の地図には載っていないが、彼は納得した様子。とにかくテルーはおろかバルサット村も随分前に通過してしまった ことはわかった。すぐこの先に村があるそうだからそこで宿泊しようということになり、再び夜道のドライブ。 しかし、すぐそこにあるはずの村は見つからず、いつの間にかもう12時近い。もうこうなったら適当なところにジープを停めて野宿 するしかないなと思う。そんなとき、突然、いやーな動作とともにジープが停まった。ぬかるみにはまり込んでしまったのだ。 いくらもがいても進まない。でジープを押すことに。しかし、ドアを開けると、そこは泥の海。押したら泥だらけになるのは必定だ。 で、どちらが押すかの押し問答の末、とりあえず、私がハンドルを受け持った。しかし、脱出できない。あえなく「お前じゃダメだ。 替われ!」となって、しぶしぶカッパを着込んで後ろへ。案の定、ジープのはね上げる泥でドロドロになってしまった。しばらく格闘したが、 結局脱出不能。真夜中に泥だらけで車を押さないといけないのやら。どちらが押すで揉めたこともあって、ひどく気まずい雰囲気のまま、 とりあえず着込めるだけ着込んで、さらに非常用に積んであった毛布にくるまって一夜を明かす。ひどく寒い。急に隣の運転手が愚痴っぽく 何か言いながらメソメソ泣き出す。おのれー、泣きたいのはこっちだ!


シャンドゥールパス手前1時間ぐらい 夜明けとともに、もう一度脱出にトライする。がどうしてもダメだ。すっかり明るくなったころ、ジープを放棄することに決定。ここからは歩いてゆく ことにした。バックパックを背負って、運転手に別れを告げる。彼は反対の方向へ、集落まで歩いて救助を求めるという。とにかくここがどのあたり なのかわからないのが不安だが、とにかく道ははずれていないようだし、そのうちにどこかの集落に着くだろう。歩き初めてしばらくすると道路上に 雪が現れ、やがて陽の当たらないところは膝までの深さになった。どうやら車で峠を越えるのはまだ無理な状況だ。徒歩2時間ちょっと、 視界が広がってだだっ広い雪原にでた。遠くに山小屋(あるいは基地?)とヘリポートが見える。ここがシャンドゥールパス?だとしたら昨夜スタック したところは最後の集落も越えてしまっていたことになる。果たしてそこは確かにシャンドゥールパス。山小屋は軍の管轄?で駐留している兵隊さんから 通行チェックを受けた。差し出されたノートに名前etc.を記入。この状態だと今年ここを通る旅行者は自分が最初かなと思ったら、 ノートにはすでに何人かの名前。チェックは単純で記入した内容とパスポートの情報を照らし合わせただけで終了。 そのあと、人恋しいせいもあるのか、とにかくティーと笑顔で歓迎してくれた。ティーをいただいたあと、 日当たりのいい建物の壁際を借りて簡単な食事を済ませて小一時間まったり。


ソーラスプール村から牛の群れ シャンドゥールパスを出発。まだ午前10時だからこの日のうちにチトラールまでゆけそう。再び雪原を突っ切って、峠の西端から下り坂にかかる。 雪の多い南斜面沿いの道路を離れて、集落へと続いているらしい谷沿いの間道をゆく。ふもとから牛の一群を引き連れたおじいさんが登ってきた。 谷は日当たり良好。氷河跡のU字谷で谷幅が広い。1時間ほど下ると遠くにチトラール側の最初の村、ソーラスプール (Sor Laspur) が見えはじめる。


ソーラスプールには昼過ぎの到着。しかし、ここから先へゆく乗り合いジープは今日はもうないとの事。まだ一日の半分を残してここで足止めか...
残念だが歩いてゆける距離ではないし、やむを得ずそこにあったとても質素な宿にチェックイン。村を見て回るが30分もあれば一回り完了。 あとは日差しが暖かいので宿の庭先で昨夜汚れたカッパを洗ったりしていたが、3時ごろ宿のオーナーが、「マスツージ (Mastuj) までゆく車があるが、どうする?」と尋ねてくれたので、急きょ出発。ただしマスツージまでの料金は乗り合いジープの10倍以上。 ついでにといっても要は車一台ハイヤーしたのと同じだ。すぐに助手席を指さしてくれたが、天気がいいので荷台に乗り込む。マスツージまでの 道はこれまたひどい悪路。かなりきわどい運転で、車が転落しそうになったらいつでも飛び降りられるように身構えていた。
マスツージまであと10kmほどのところでまたもや土砂崩れ。昨日今日崩れたのではないらしく、運転手はのんびりした様子で、 ちょっと待てという。小一時間ほどすると、崩壊現場の向こう側にジープがやってきた。あれに乗り換えるらしく、土砂崩れを迂回して作られた 歩道をたどって向こう側へ。結局、マスツージは5時過ぎの到着となった。今日はここで泊まる。チトラールへの移動は明日にした。

diay コンテンツに移動 page topへ移動 back   1999/5/23-24