なんとなくアジア(旅の日記から)
トップページ 写真ギャラリー 旅日記 ブログ(流浪的魚) 掲示板 リンク集 サイトインフォメーション
  │ TОP │ CONTENTS │ お問い合せはこちらから
 
 
移動編/インド・Trans-Hymalaya Highway -1
 
■Day1. マナーリ (Manali) -セルチュ(Serchu)
pang campsite
 

ヒマーチャル・プラデシュ州のマナーリ (Manali) からラダックのレー (Leh) までバスで一泊2日、およそ500kmの旅。ヒマラヤ山脈を越えるルートのため、およそ夏の間の3-4ヶ月のみ通行が可能で、 それ以外の期間は雪で閉ざされてしまう。標高は出発点のマナーリが最低地点で2000mだが全行程の半分近くが4000mを超え、最高地点では5328mに達する。 これは車が通る道路としては世界で2番目に高い。従って高山病に対する不安はあるが高山地帯を縦断するルートならではの光景への期待も大きい。
マナーリとレーを結ぶバスは2種類あって、一つはツーリストバス。リクライニングシートの横4人がけシート。いわゆる観光バスタイプの車両で乗客のほとんどが外国人旅行者。 もう一方は一般バスで、こちらは横2+3人がけシートのローカルバスだ。乗客は主に地元の人びと。値段はもちろんツーリストバスの方が高い (1000Rp:395Rp)。 ま、シート数が違うから高いのは当然。その分快適ならそれに越した事はない。ということでツーリストバスのチケットを購入。
当日は夜明け前に宿を出てバス乗り場へ。定刻にバス乗り場に着いたが肝心のバスはどこにも見当たらず。その後30分ほど遅れてようやくやってきた。 そして乗客の荷物を屋根の上に載せる作業が始まったが、荷物を係員?に渡して屋根に載せてもらうとお金を要求されることがわかり、ひと悶着。 それなら自分たちで載せるからいい!ということでほとんどの乗客が屋根に登って荷物の積み降ろし。すると係員は自分で載せた荷物には防水カバーをかけない という暴挙にでたので口論が始まった。結局しぶしぶながら全ての荷物にシートをかけ直し、1時間遅れでやっと出発準備が整った。にもかかわらずなぜかバスは 出発せず。ここはインドだからという理由で時間の遅れに対してはみんな比較的寛容。2時間遅れでようやく動き出した。外はすっかり明るくなっていた。


マナーリをでるとしばらくは川沿いの道を辿ったあと、右にカーブを切ってどんどん登り始める。スピードは20km前後に落ちる。延々と続いた坂を登りきると ロータン峠 (Rohtang pass)。標高は4000m近い。マナーリが2000m程だから、2時間ちょっとで2000mの標高差。バスはここでしばらく朝食(にしては遅い時間)を取るために停車。残念ながら峠は 雲の中で視界は真っ白。すでに富士山より高い標高ゆえに寒い!峠をでると今度は谷に向かってひたすら駆け下りる。窓から見える谷底はそれほど遠くないが、辿り着くのには随分時間がかかる。窓外に 徒歩の少年を見かけるが、10分後にまた同じ顔に出会うの繰り返し。バスがつづら折れで迂回して高度を下げるより、徒歩でショートカットして下山するほうが 少々早いようだ。つまり谷まで歩いて下りるのと同じ時間がかかるというわけ。坂を下りきると、今度は谷に沿っての道が続く。谷は深く、道は1−1.5車線、 トラックとすれ違うたびに不安な思い。結構谷底に転落した車の残骸がコロコロ落ちていたりするのでなおさら。ルート上で唯一街と呼べる、キーロン(Keylong) はそのまま通過して、ダルチャ (Darcha) で2度目の休憩。ここをでるとまた峠越えが始まる。ここまでのキーロン・ダルチャとも谷沿いの集落だが、谷自体の標高が高く、腕時計についている高度計はずっと3000m以上をキープ。そしてダルチャから先は4000m以上の表示が続くことになる。


バララチャ峠 (Baralacha pass) 。標高は約4900m。さすがに高山病の症状で苦しむ乗客が目立ってくる。そんな中、道端にカップルチャリダー発見。この標高を自転車で越えるという事は、私には考えも及ばないが、しかし可能なら確かに素晴らしいだろうな。好きなところで止って写真撮れるし。とにかくこのルートを走破するのに10日ほどかかるらしい。この後も何度か自転車をこぐ姿を見かけた。世界中のチャリダーの間で有名なルートらしい。
峠を登りきって3度目の休憩があり、トイレに行こうとバスを降りたが、人目を避けられる50m位の距離を歩くのがつらい。darchaのキオスク峠を少し下がったところで日が暮れる。 しばらく走って街道沿いの仮設テントで一泊となった。場所は恐らくバラートブル (Bharatpur) 。宿泊予定ときいていたセルチュ (sarchu) までたどり着けなかったわけだ。ちなみにテント泊にしては宿泊料金は法外。他に何もないところだから料金はいいようにつけられている。そのことに憤慨して、数人はバスの中で寝ることにしたようだが、 気温は0度を下回る中、寝袋なしで果たして寝られるんだろうか?
ここでは高山病にかかった人と大丈夫な人との差が対照的。かかってしまった人は寝袋にくるまって苦しげに喘ぐだけ。動けない人もいる。そうでない人は食事用のテントで夜更けまで談笑していた。私も負け組の一人。とにかくつらい一晩だった。

diay コンテンツに移動 page topへ移動 next page   2000/8/22