なんとなくアジア(旅の日記から)
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移動編/インド・Trans-Hymalaya Highway -2
 
■Day2. セルチュ - レー(Leh)
manali-leeの標高差
 

sarchuのキャンプサイト夜明け前にたたき起こされすぐに出発。昨夜高山病の薬をもらって服用したお陰か、症状は軽くなった。高山病の薬があることは初めて知ったが、これって日本でも買えるのかな?
朝日が山腹に差す頃、本来の宿泊予定地、セルチュ (Sarchu) のキャンプサイトに到着。ここから先、このルートのハイライトを通過してゆく。標高は4000−5000mを保ったままヒマラヤ山中を越えてゆくので車窓は素晴らしいの一言。このバスの乗客全てがこの光景を期待していたはずだが、残念ながら半数はそれどころではないらしく、じっとうつむいたままだ。かく言う私も再び気分が悪くなってきた。やがてこのルートの最高地点、タンラン峠 (Tanglang Pass) に到達。しかし、降りて写真を撮る気力すらない。これ以後はレーに向けてひたすら下る。標高が下がって、やっと高山病の症状から開放された。午後3時ごろにインダス沿いの谷道に降りる。 やれやれあと少しでレーだ。
ところが、ここで後ろの方に座っていた一団の反乱騒ぎがおこった。谷筋の道になってややスピードがあがったが、道が荒れているため後ろの席はひどくバンピーだったようで、ブーイングが起きた。さらに女性の悲鳴。車体の横揺れで頭を窓に叩きつけてしまったらしい。それでもスピードを落とさない運転手に業を煮やした数人が前まで抗議にゆき、ついには運転中のハンドルを押さえて「停めんかいっ!」というところまでいってしまった。とにかくしばし休憩をとることになったが、運転手に不信感をもった首謀者は休憩中に置いてけぼりを食うことを警戒してキーを取り上げてしまった。そこまでやるか...とにかく険悪なムードになってしまった。そんなこともあってインダス川のほとりにあるウプシ (Upshi) ですでに4時過ぎ。その後は道が整備されていて快適に進む。進行右手にティクセ・ゴンパ(僧院)が見えた。
レー郊外に着いたのは日没前だったが、ゴールを前になんと、運転手がいなくなってしまった。いきなりバスを停めたかと思うとそのまま降りてどこかへいっ てしまったのだ。そのまま1時間ほど帰ってこなかった。帰ってきたときに当然怒った乗客から取り囲まれる事になったが、しれっと「急に腹痛がしてト イレにいっていた。sorry」の一点張りで押し通してしまった。先程の復讐を果たした運転手は上機嫌。乗客は疲れ果てて真っ暗になってしまったレーのバスターミナルに降り立った。

 
■復路はローカルバスで Go back
 

話は復路に続く。同じ道を戻りたくないんだが、さりとてカルギル (Kargil) ・スリナガル (Srinagar) を経由するのも情勢からいって避けたい。ベストは飛行機ということでレー滞在中にエアオフィスに何度となく通ったが無駄骨に終わった。やむを得ない。せめて帰りは違った雰囲気を求めてローカルバスの方のチケットを購入した。バスは夜明け前に出発。ウプシで停車中にやっと空が白んできた。車内は混んでいて通路に座っている人もいる。乗客のうち外国人は5人だけ。行きのバスと対照的だ。「輸送」することに徹しているので、ビューポイントで停車することはなく、最高所のタンラン峠もあっさり通過。休憩もほとんどとらない分早い。途中でパンク修理に時間をとられたが、それでも日没過ぎにはキーロンに辿り着いた。キーロンはこのエリアの交通の要衝で乗ってきたバスもここをベースにしている。従って明日は違うバスでマナーリに向かうことになる。パンク修理中のローカルバスキーロンは日没から早朝にかけて夜間移動しないバスの乗客やトラックの運転手が滞在するため、結構にぎやか。宿やレストランもそれなりにある。ここまでの移動だがすでに高度順応していたので高山病は無縁。ただ、隣の席のチベッタンおやじが車酔いで吐き続けていたので何だか服に臭いがしみついて気持ち悪い。
次の朝、マナーリ行きのバスは早朝に出発するがこれはパスする。 ここまできたら夜明け前に出発の必要はない。ゆっくりと起きだして他のバスでマナーリを目指した。


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